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大阪高等裁判所 平成5年(ネ)749号 判決

主文

原判決を取り消す。

控訴人と被控訴人間の平成三年七月六日付竜野市長に対する届出による協議離婚は、無効であることを確認する。

訴訟費用、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

理由

第一  《証拠略》によれば、次の各事実が認められる。

1  控訴人と被控訴人は、昭和四九年四月六日に婚姻した夫婦であり、両名間には同年一〇月一一日に長女春子が出生している。

2  控訴人は、右婚姻した当時乙山株式会社竜野工場の社員として働いていたが、昭和五三年に同社を退職して丙川商店の屋号で皮革の運送業を始め、昭和五六年頃には業績も上がり五、六名の従業員を使う程になつていたが、平成二年頃からは営業状態が悪化し、以後その状態が持続している。

3  被控訴人は、控訴人が右のように皮革の運送業を始めて業績を上げ、経済的余裕を持ち始めた頃から、控訴人の日常の言動がいつも金銭的な尺度によつて左右されており、家庭に対する思いやりも徐々に無くなつているように思え、また、他人から受けた恩義に対しては当然のように振る舞いながら、自分のしたことについては他人に非常に恩着せがましい態度をとつていると感じるようになるなど控訴人の態度に疑問を持つようになり、控訴人との間に距離を感じるようになつていた。

4  このような状況となつていた平成三年一月一二日の早朝、被控訴人は控訴人に対し、前項のような不満に思つていることを話し、控訴人と一時間余り話し合つたが、控訴人が被控訴人の考えを批判するだけで、これを受け入れる態度を示さなかつたため、被控訴人は、離婚する意思を固め、予め用意していた離婚届用紙を控訴人に示し、「これだけ話し合つても判つてもらえないなら、結婚生活を続けていくことは無理です。お金も何も要らないから、判を押して。」と述べ、右離婚届に署名、捺印することを求めた。

これに対し、控訴人は、「何も要らないのなら署名する。」といつて離婚届に署名したうえ、被控訴人が金庫から出してきた控訴人の印鑑を押し、これを被控訴人に渡した。これを受け取つた被控訴人は、四、五日の内には住む家を見つけて控訴人宅を出て行くつもりになつていた。

5  ところが、控訴人は、右のように離婚届に署名した後間もなくして、知人で竜野市職員である丁原松夫に対し、その勤務先に「離婚届に判を押したので、届けを出されるかも分からないので止めて欲しい。」という電話をしたため、同人は市民課の係員に控訴人らの離婚届が出れば止めるように依頼した。なお、控訴人は、丁原に右依頼をした際には同人からいわゆる不受理届の制度に関しては何も教えておらず、当時この制度があることを知らなかつたため、その届出はしていない。

その頃、控訴人は、知人の戊田竹夫に前記のように離婚届を作つたことを言つて相談し、被控訴人に思い直すよう取りなすことを依頼したところから、同人が被控訴人に会い、「物の考え方や家の中のことについて控訴人に意見をするから、もう少し様子を見てやつてほしい。」と伝え、また、控訴人自身も被控訴人に対し、「私が悪かつた。悪いところを直すから、やり直すように考えてくれ。一、二か月様子をみて、それで直らなければ離婚届を出してもよい。」と述べ、それまでの態度を改める意向を示したため、被控訴人は、これを受入れ、しばらく控訴人の様子を見ることとし、控訴人の態度に変化が認められれば、離婚を思い止まる決意をし、控訴人もこの経過によつて一応離婚問題は収まつたものと考えた。

また、その後暫くした頃、丁原は、前記のような依頼をした市民課係員から、離婚届の件がどうなつているかという問い合わせを受けたため、控訴人ら夫婦と会つて両名からその後の経過を聞いたが、被控訴人が離婚届を預かつておく意向であつて、その届は出ないという感触を得たところから、右係員に前記の依頼を中止することを伝えている。

6  その後暫くの間は控訴人ら夫婦間には特に対立する状態も起こらないまま経過していたが、前記のように控訴人らが話し合つてから一か月位経過した頃から、控訴人と被控訴人の関係は再び悪化して、しばしば対立することがあり、その際には控訴人が被控訴人に対し、「お前が悪いところを直すと言つていたのに、どこが直つたのか。」とか「気に要らんのやつたらいつでも出ていけ。」などという趣旨のことを述べたこともあつて、控訴人が自らを反省せず、逆に被控訴人の態度を非難するとして被控訴人は強く不満を持つようになつた。そのため被控訴人は、控訴人と正式に離婚する決意を固めたが、長女から同女が入寮している東京の寮を退寮する七月まで離婚を待つて欲しい旨言われたため、同女の退寮予定日の前日である同年七月六日に前記の離婚届を市役所に提出することとし、同年六月頃に親戚の者に事情を話して離婚届の証人欄に署名捺印を得たうえ、右の予定通りに離婚届を熊野市役所に提出しているが、その間に右届出をすることについては、控訴人に話すと反対されることが明らかであり、激情にかられて粗暴行動に出ることも恐れて、全く控訴人には知らしていない。

7  右離婚届の提出がなされた翌日である平成三年七月七日、被控訴人は、その姉と共に「喫茶店に行つてくる。」と控訴人に言つて出掛けたまま帰らなかつたため、控訴人は被控訴人の実家に尋ねるなどして被控訴人の所在を探したが判らない状態が続くうち、同月一二日に竜野市役所に行つて調べた結果、離婚届が提出されていることを知つた。その後、控訴人は、被控訴人からの連絡を待つ傍ら神戸家庭裁判所竜野支部に相談に行つたりした後、翌八月六日に控訴人代理人に相談をして離婚無効の訴えという法的手段があることを知らされた。そうするうち、被控訴人から控訴人に対して財産分与を求める調停が、控訴人から被控訴人に対して離婚無効の調停がそれぞれ神戸家庭裁判所竜野支部に申し立てられたが、いずれも合意に達せず、不成立となつた。控訴人は、被控訴人が翻意して控訴人のもとに戻つてくることを望んでいるが、被控訴人は、控訴人との結婚生活を復活することは全く考えていない旨表明しており、現在のところ、被控訴人の気持の変化を期待することはできない状況にある。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断略》

第二  前項の認定事実に基づき本件離婚届の有効性について検討すると、まず、離婚届作成時点においては、その作成経過ことに控訴人本人自ら署名、捺印していることなどからみて、控訴人は被控訴人から離婚を求められて一旦これを承諾していたことがうかがえる。

しかし、その後間もなくして控訴人は離婚届に署名後市職員に対してそれが出された場合には止めるよう依頼しており、このことはその時点に至つて自ら離婚することを承諾しない意向となつていたことを示すものと解さざるを得ない。もつとも、控訴人は、本件離婚届に署名した後の被控訴人との話し合いにおいて、被控訴人に対してそれまでの態度を改めることを条件にそれの届出を思い止まるように頼み、もし控訴人の態度に変化が見られない時には、離婚届を出すことを認めていたが、その後控訴人は被控訴人が不満を持つていた従前と同様の態度に戻つていたという経過がある。しかし、このことだけから直ちに本件離婚届が有効と解し得るものではないことは言うまでもない。この届が有効となるためには、その時点において控訴人に離婚の意思があつたことが必要であり、前記の条件が満たされなかつたことは一応右意思の存在を推測すべき一事情となるとしても、他方、控訴人が市職員に対して前記のような依頼をしている点や離婚届用紙に署名がされてから現に離婚届がされるまでには約六か月の長い期間が経過していること及び離婚届がされたことを知つた後の控訴人の行動などを考慮すると、その事情だけから右届時点における控訴人の離婚意思の存在を推認することは相当ではない。また、控訴人は、前記の約六か月の期間中に離婚届を破棄することを被控訴人に命じたり、或いはその返還を要求したことはうかがえないけれども、これらの点も、右の考慮事情と対比すると、控訴人が本件離婚を届出時点でも了承していたことを推認すべき事情とみるのは困難である。以上に検討したところに加え、控訴人は、その本人尋問(原審)において、右届出の頃には離婚する意思は全くなく、その届出がされることを考えてもいなかつたと述べていることや、被控訴人自身も、右届出に際して控訴人が反対することを予測し、控訴人に右届出をすることを全く知らせていない事情も考慮して判断すると、本件離婚届時点において控訴人に離婚意思があつたものと認めることはできない。

第三  そうすると、本件協議離婚の無効確認を求める控訴人の請求は理由があるからこれを認容すべきであり、これと結論を異にする原判決を取消して、控訴人の本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大石貢二 裁判官 羽田 弘)

裁判長裁判官 柳沢千昭は退官のため署名押印することができない。

(裁判官 大石貢二)

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